「枡形の茶屋つがるや」は、追分宿に三軒現存する江戸時代に建てられた建物のひとつ。現在の所有者は軽井沢町。
江戸時代中山道の宿場町として栄えた追分宿西側の端(京都側)に位置し、敵の侵入対策として枡形(ますがた)に屈曲させた形状の出入り口のそばにあったことから「枡形の茶屋つがるや」の名がある。
令和2年2月「枡形の茶屋つがるや」の保護と活用を目的に「枡形の茶屋つがるや活用委員会」が発足した。
つがるや活用に関する軽井沢町への提案書
追分区の津軽や活用委員会は軽井沢町に、つがるや活用に関する提案書を提出しました。
枡形の茶屋つがるや活用委員会が発足
「歴史と文学の里」追分宿の象徴たる「枡形の茶屋つがるや」の保護と活用を目的に「枡形の茶屋つがるや活用委員会」が発足。

