先頃、上皇ご夫妻(以下、天皇皇后陛下当時)が追分の堀辰雄文学記念館を訪れました。追分にとっては初の出来事だったのではないか、と思います。この機会に浅間神社前の町営追分宿駐車場内の一角にある天皇陛下御製碑(写真 )もお寄りになると思っていました。しかし、残念ながら町民の願いは叶わなかったようです。予め決められた滞在日程の通りに、お過ごしになったかと思います。
御製碑建立関係資料(町)によると、御製碑は「天皇陛下が平成22年にお詠みになられました御製5首が翌23年の年頭に宮内庁から発表され、その中の
『後に来たりし 山の上の はくさんふうろ 再び見たり』
との、御家族でしばしば訪れた石尊山に約30年ぶりに登山された時の御製がございした」と、経過を記しています。「天皇陛下がこのように軽井沢町を思っていてくださることに心から感謝申し上げ、石尊山に近い駐車場内芝生地に御製碑を建立しました」(一部略)と、理由に触れています。
1968(昭和43)年8月の皇太子時代に御家族4人で石尊山に登られた際の写真(故関次郎氏撮影)が残されています。石尊山の1,667mの山頂にたどり着き寛ぐ様子、居合わせた観光客と談笑する妃殿下の立ち姿、血の池で全員集合し不思議そうに眺める場面、濁川の丸太橋をおっかなびっくり渡るシーンなど収められています。
御製碑そのものは2014(平成26)年に建立され、同年7月20日に当時の町長、区長、町議員ら関係者約80人で除幕式を執り行っています。御製碑の概要は、御製歌を掘った黒御影石(天然石)を、高さ2m20cm幅2mの浅間石にはめこみ、15個の浅間石を組み合わせた台座の上に設置しています。揮毫は町内在住の書家田所桂華さん。なお、田所さんは2003(平成15)年にも軽井沢病院敷地内に建立した皇后陛下の「かの町の 野にもとめ見し 夕すげの 月の色して 咲きゐたりしか」との御製碑も揮毫しています。
御製碑の建立から5年後の、2019(平成31)年には、天皇陛下御在位30年を記念し、御製碑前の芝生の上に桐の苗木1本の植樹が施されました。桐の紋様は天皇家のお印です。当時の信濃毎日新聞によると、桐の苗木にシャベルで土を被せる出席者の写真とともに「軽井沢と皇室のかかわりを後世に伝えようと企画した。町長ら行政関係者や住民代表ら約30人が出席した」と書かれ「天皇陛下が上皇になられても、町と皇室との交流が続くことを願う」と期待の声で結んでいます。
追分にとっての天皇家とのご縁と云えば、追分宿には天皇陛下御製碑や石尊山をはじめ、1869(明治2)年に明治天皇の使者により浅間山の鳴動を鎮める勅祭が行われた浅間神社(追分公園)が有名です。1878(明治11)年の明治天皇の北陸東海巡幸の折には追分宿旧本陣(土屋一三家)に宿泊し、その明治天皇追分行在所碑や御料水として用いたという御膳水の史蹟も残っています。(S)
【はくさんふうろとは】フウロソウ属多年草の高山植物で、湿り気のある草原に自生する希少植物です。花弁は濃紅紫色で、8~9月に開花が見られます。ハクサンは石川・岐阜両県にまたがる白山に由来します。花の名称は地域ごとに付けられています。日本の本州中部の数カ所と、大陸の北朝鮮や中国東北部にも分布しています。1894(明治27)年8月に植物学者牧野富太郎と共同研究者の大渡忠太郎が発見したアサマフウロは、世界初の新種と云われます。町内では馬取山田地区の自生が確認されています。